1年前、経済産業省、外務省、JETROが主催するウクライナ復興支援ミッションに随行し、戦時下のウクライナを訪れる機会をいただきました。その体験は「ウクライナ戦時下ビジネス紀行」にまとめています。
あれから1年。日本政府のご支援をいただき、COGNANOはウクライナ、ポーランド、リトアニアの中東欧エリアで数々のパートナーと話し合いを進め、多くの企業、大学と提携することが決まりました。その結果、本格的にAI創薬事業を進めることになりました。
去年は「出会い」の旅でした。出会いのあと信用を得るためには、現地に何度も足を運ぶことは必須です。しかし残念ながら、ウクライナは自由に行き来できる状態ではありません。こちらの不自由を案じて、わざわざ隣国ワルシャワまで会いに来てくれたウクライナ人も数知れず。オンラインでやりとりを重ねても、まどろっこしいことは残ります。直接会って初めて腹に落ちることも多い。何度も現地に足を運んでネットワークする中、もう一度ミッションツアーに参加させていただけることになりました。
今年の目的はずばり「事業開始の打ち合わせ」。行き先はポーランド国境に近いLVIV(リヴィウ)。
国境を越えて
長年ロシア・ウクライナにおいてビジネス経歴を積んでこられたデロイト高橋氏に同行いただき、早朝のワルシャワ東駅からウクライナ国境へ電車で出発。美しい田園風景を、ひたすらまっすぐに進む。国境手前のゲートで、乗車のままポーランド警官にパスポートチェックを受ける。再度出発し国境線を通過した後しばらくして、ウクライナの関門駅ラバルスカ(Rava-Ruska)に到着し下車。駅ナカで審査を受け、入国理由を聞かれただけですんなりと通してもらえる。この路線、乗客はほとんどウクライナ人(9割は女性)。2時間ほど待たされ、ウクライナ側の(電車ではなく)動力車に乗り換え。ゆっくりとLVIVに近づいていきます

LVIV国立大学にて:「AIは、生物学に見えなかったものを、いかに見るのか?」
LVIVジャパンデスク、JETRO、在ウクライナ日本大使館、Deloitteの皆様にリードしていただき、私はLVIV国立大学(LNU)でセミナー「AIは、生物学に見えなかったものを、いかに見るのか?」というタイトルで講演をさせていただき、共同事業のMOUを締結しました。

今回はお土産として、ぜひウクライナ人に聞いてほしい話を用意していきました。
ゲオルギー・ヴォロノイ(ウクライナ語でHeorhii Voronyi)は、1868年、現在のウクライナのポルタヴァ地方の村に生まれた数学者です。サンクトペテルブルクで学んだ後、ワルシャワ大学の教授になりました。亡くなる1908年まで、空間を多面体で埋め尽くす幾何学を研究しました。今から120年ほど前のことです。
空間にいくつか点を置き、「どの点に一番近いか」で空間を区切っていく。すると空間は、点の数だけの多面体で隙間なく埋め尽くされます。これが「ボロノイ図(ボロノイ分割)」です。現代でも、携帯電話の基地局の配置、都市計画など、いたるところで使われています。なんとエレガントな。
この「点」を原子に置き換えると、何が起きるでしょうか。タンパク質の中で、ある原子が隣のどの原子と、どれだけの面積で接しているか。つまり分子と分子が「どう触れ合っているか」を、数学的に正確に切り出せるようになります。この場合、境界面は実在するものではなく、仮想的な平面です
この発想を構造生物学アルゴリズムとして昇華したのが、リトアニア・ヴィリニュス大学のKliment Olechnovič博士です。博士が開発した「Voronota」は、原子一つひとつを大きさの異なる球として扱い、ボロノイ分割で原子どうしの接触面を計算します。タンパク質の立体構造予測の精度を競う国際コンテストCASPでも、原子座標予測モデルの評価に使われてきました。最新版のVoronota-LTは、従来版の百倍以上の速さで計算できるといいます。抗体・抗原のインターフェース〜どこにどう触れているか〜を知りたいSEPIQ/COGNANOが注目している技術です。

120年以上前にウクライナ出身の数学者がポーランドで考えた幾何学が、いまリトアニア研究者の手で、分子どうしの相互作用を評価するAIアルゴリズムになっている。ウクライナ、ポーランド、リトアニア。「分子構造をデジタル化することで創薬革命を起こしたい」と願う日本のCOGNANOが1年間歩いてきた3つの地域が、数学という糸でつながっていたのです。悲しいことですが暴力や紛争は終わっていない。一方で数学や哲学もまた高みを目指す人類の創造です。双方の営みが、この大平原地域で産み出されてきた事実に私は心を打たれました。
心配していたことがあります。若者にとって、戦争が始まった2022年からの4年半はとてつもなく長い時間です。予想もしなかった人生の激変に、未来を悲観しているのではないか?戦争に、バイオなんて祖国の役に立つのか?
とんでもない!70名の聴衆の目は輝き、質問は鋭く、講演が終わっても話は終わりません。結局2時間半も大学で話し込みました。COGNANOのサイエンスは、バイオに慣れない人には簡単ではありません(本当はシンプルなんですけどね・・・)。直感で掴んでいるのか、COGNANOサイトで予習してきてくれたのか……
例えばこんな質問がありました。
「もしAIがハルシネーションを起こしたら、どうすれば発見できるのですか?」
答え:(作為・無作為に関わらず)AIの間違いはあまりにもリアルっぽいので、人間に気付くことはできないと思います。しかし検証実験を組むことで、最終的には気づくことができるはずです。生き物にとっては、生き物が最終回答だからです。
ちなみにリアルデータと生成データの違いは、まさにCOGNANOの核心です。なぜなら、我々の体はプロンプトでできているわけではなく、不安定でダイバースした分子・細胞から成り立っているのですから。水環境で振動し増殖消滅する分子や細胞においては、情報は極めて階層化し複雑です。生物や疾患に関する分子・細胞のハードデータは、ゲノムを除けばいまだにほとんどデジタル化されていません。AIにはとんでもないデータ量が必要にも関わらず、です。コードをAIが書くようになった現代は、ますますData Centric(データ中心主義)なパラダイムに傾いています。驚くべきことにAnthropicがウェットラボを建設し、最近AlphaFold開発者John Jumper博士がDeepMindから移籍したことは、その象徴的事件といえるでしょう。
セミナー後に、極めて正確な解説が、大学広報から出されましたので、一部を抜粋させていただきます。

ビジネスフォーラムとジャパンデスク
ウクライナ日本ビジネスフォーラムでは、取締役のひとり伊村泰子が登壇させていただきました。LVIVのビジネスパーソンが400人ほど集まり、両国の産業の現状や、パートナリングで何ができるかを話し合いました。AI創薬やコンピュータバイオ産業というテーマは、後発組でも大きなチャンスがある未到領域です。将来ウクライナ復興の土壌になってくれたら嬉しい、、、その情熱はどのくらい伝わったでしょうか。実際、ウクライナの大手IT企業はCOGNANOが主催中の「AI創薬世界評価競技」に興味を持ち、業務提携を開始しました。このように、インターネットを使って世界と繋がれる時代だからこそ、可能性は拡張していることを実感しています。

去年、私はLVIV市長とJETRO前川理事(当時)によるジャパンデスク開設の調印式に立ち会っていました。LVIVでは市主導で、海外からの投資や支援を呼び込む窓口が設けられています。日本はどの国より早くリストされました。戦時下にあっても、日本官民の交流が着実に動いている証拠であり、取り組みが進んでいることが伝わってきました。また、英語は当然として、日本語で仕事できるウクライナ人が多いことに驚かされました。LVIV大学には日本語学科が開設され、意欲的な若者が日本企業のためにサービスする体制が整っています。この事実は、まだ日本企業には十分に知られていない気がします。
再会
わざわざKYIVから駆けつけてくれたTetiana Boykoさんにも会うことができました。Tetianaさんは日本で偶然知り合ったKYIV在住のウクライナ人で、戦争中なのに一人で日本旅行に来た、というワーキング主婦です。偶然に、一人旅の彼女と京都で出会った私たちは仲良くなり、機会があれば必ず会おうとしています。「戦争だけど、気分を変えたくて、夢だった日本に来た」というメンタリティがいかにもウクライナ人。

「平常運転」に勤める街
去年も感じたことですが、市民は強い精神力で「平常運転」を貫くことで、長い戦争を乗り切ろうとしているように見えます。産業や経済が止まれば、状況悪化につながってしまうからでしょう。
一方、首都KYIVや東部では空襲がさらに激しくなり、市民にも多数犠牲者が出ています。そうした中でも、日本外交官は首都駐在を続けています。大使館への攻撃は宣戦布告に等しい、ゆえに通常は起こり得ない。とはいえ、これだけ大量の攻撃にさらされる中で、何が起きるのかは全く不透明です。命懸けの任務です。ウクライナと母国日本の両方に愛情と責任感がなければできない仕事だと思います。

ひとつ書いておきたいこと
去年のブログで、私は政治や戦争について判断は控えると書きました。それでも2度目の訪問を終えて、実感していることがあります。
街のどこにいても、朝9時の合図で、市民全員が1分間立礼黙祷します。戦死者を偲び不退転を誓う沈黙の時間です。ウクライナでは多くの人が「ロシアとは違う体制の国としてやっていきたい」と望んでいることは確かです。難しい歴史があり、片方の主張だけで割り切れる問題ではない。でもだからこそ、「武力による強制」を認めてはいけない。ウクライナ人の総意は、ロシアの一部にも属国にもなりたくない、ということです。歴史的にロシアとの間には、そう思わざるを得ない経緯がある。国民が日常、ロシア語を拒否しウクライナ語を話すことは、その決意の表れなのだと思います。
最後に
1年前に「出会い」だった関係が、今年は「事業のパートナー」になったこと。次のステップは、日本発のデータとバイオサイエンスを持ち込み、ポーランド/リトアニアも含んで中東欧が得意とするITパワーと化学産業でブーストして、一気に世界市場に浸透すること。日本のベンチャーに欠けている要素を補完し、真の意味で対等なパートナーとしてやっていくこと。
バイオ、創薬、ITの市場はながいあいだ、アメリカをはじめとする「いわゆる西側先進国」でした。であるならば、成長著しい中東欧諸国とCOGNANOはタッグを組んで、一緒に市場を取りに行こうじゃないか。わたしたちCOGNANO創始メンバーは全員「時間とお金がかかる厄介なジャンル=バイオテクノロジー」を30年にわたり日本国内で磨き、グローバル市場を目指しました。そして中東欧を発見しました。創薬に距離がありそうに思えた旧ソ連圏がかけがえのないパートナーとなるとは、日本で聞けば不思議なシナリオですが、中東欧では「補完的であるゆえに」すんなり受け入れてもらえます。それもまた、歴史的な意味では日露戦争やWW2の長い歴史を経て、日本が当地で積んできた信用が後押ししてくれているのでしょう。いやそんな難しい話ではなく、マンガやラーメンを産んだ日本が大好きだからかも。
LVIVジャパンデスク、JETRO、在ウクライナ日本大使館、経産省、留守を守ってくれたCOGNANO社員のみなさん、たいへんお疲れ様でした、、、そしてウクライナの方々、ありがとうございました。COGNANOは必ず帰ってきます。それまでご無事で!
参考リンク
前回のブログ

JETRO
在外公館の発信
Voronoi/Voronota
筆者