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7月2日〜9日の日程で、日本政府経産省、外務省、JETRO主催のウクライナ復興支援ミッションに民間人として随行しました。今回は、戦時下ウクライナでのCOGNANOのアクションを報告します。警備上のリスク管理から、移動中に配信することができませんでしたので、ミッション終了後にご報告する運びとなりました。

官民ミッションの集団を、ここでは「視察団」と呼称します。ただし「視察」という冷たい目線ではなく、戦時下ウクライナの現実を知り、民間人も含めて日本に何ができるのかを模索するネットワーキング旅団です。

自分が見聞きしたことを、できるだけ直感に基づいて記録してみようと思います(保安上の理由から詳しい地名・施設名や写真を明示できない部分がありますこと、ご了解ください)したがって、このブログでは政治や戦争に対する倫理的な判断は控えたいとおもいます。単純な善悪の線引きは意味をなさないことに加え、民間人の私が知り得た範囲で断ずることが何もないからです。何より、極東の小さな創薬支援サービスの当社がなぜウクライナを意識するのかを知っていただきたく、公式ブログとして掲載させていただきます。

米国、英国、西欧での準備期間

  • 当初6月に予定されていたミッションが、戦争激化の影響で延期になり、出発が7月上旬に変更。
  • トップAIカンファレンスのひとつICLR2025@シンガポールで集まってくれたウクライナ籍ITエンジニアへの共同業務体制の打診。COGNANOのバイオビジネスが主題ではあるものの、ウクライナ支援事業として設計することを一人ひとりに説明。
  • アメリカCALTECHのML(マシンラーニング)研究者と面談し、COGNANOがウクライナ発で予定しているAI創薬コンペの進め方を相談。
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ドイツの港町でKonradと会う
  • ボストン在住の医学メンターの別荘に招んでいただく。この高名な先生の父上は化学者・経営者で、ご両親はポーランド系でウクライナ・Kyiv出身者であったらしい。WW2勃発に合わせて上海経由でアメリカに移住されたファミリーの歴史を教えていただく。若ければ自分もウクライナに行きたいが、ボストンから応援するので、現地情報を伝達してほしい、と激励される。
  • ポーランドの抗体AIエンジニアリングサービス NaturalAntibody社 Konrad Krawczyk CEO とドイツで面談し業務提携をまとめる。
    Save time in creating and collating antibody-specific datasets. Benefit from ready-made data collection pipelines that have fresh and regularly updated datasets. Search for antibodies by sequence, text, or sequence, and get all the search results in one place. Compare parameters and find shared attributes across different databases.
    iconhttps://www.naturalantibody.com/
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視察団ワルシャワ点呼

いよいよ視察団の形成となる。

7月2日日中:ワルシャワで開催された日本、韓国、ポーランド3国ビジネス交流会に出席。風邪を引き発熱。幸い風邪薬を持参しており凌ぐ

7月2日夕方ワルシャワ:日本からの視察団集合。JETROがリーダー。経産省、外務省職員、民間企業人10名が警護サービスにガードされ、ワルシャワからバスで出発。車中、戦場用救急キットを渡され使用法の説明を受ける。夜10時、ポーランド国境 Chelm(へウム) 駅から寝台車でKyiv(キーウ)へ。風邪気味続く。空襲警報アプリAir-alertを作動開始。

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ウクライナが運行する寝台列車。Chelm 発夜行1日1便。空路は閉鎖中。
Air Raid Alert Map of Ukraine
Real-time interactive map of air-raid alerts in Ukraine.
iconhttps://alerts.in.ua/en?v=41752a6a
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Kyiv(キーウ)へ

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https://aspeniaonline.it/ukraine-2022-assessment-implications-policy-options/ より引用。Kyiv-Lvivは直線距離で500km離れている。あとで出るKharkiv(ハルキウ)はKyivから600km。

7月3日早朝:Kyiv駅に到着。昔風の立派な駅舎。警護車に分乗し市内ホテルへ。スーツに着替え政府官庁を訪問し、ユリヤ・スヴィリデンコ第一副首相を表敬訪問。勝手ながら、「日本から来たバレエ(ウクライナ国立バレエ)ファンです、あなたの国のカンパニーは世界一だと思います」と短く告げたのだが、国交の場に相応しかったかどうか。聖ミハイル修道院に祀られている戦没英雄に黙祷。

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在ウクライナ日本大使・中込氏を代表としてウクライナ政府を表敬訪問。

夜:Kyiv商工会議所主催の国際官民交流会に出席。そろそろお開きのタイミングで、空襲警報が鳴り、地下シェルターへ避難。Kyiv初日からロシアの洗礼を受ける。朝まで待機。

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ホテルの地下3階にシェルターがあり、快適に過ごせる。爆発音などは聞こえないので恐怖感はないが、いつ部屋に戻れるのか全くわからないのはストレスに感じる。

7月4日:朝から産業クラスター訪問。ピッチ、会合、商談。午後はホテルで開催された日本ウクライナ産業マッチングイベントで登壇ピッチ。ITエンジニアを束ねる大学関係者、企業と面談。以前からやりとりしていたグローバルCROのpvr社から3名の方に面談に来ていただく。業務提携を約束。一つ、大きな目的を達成。

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夜通し空襲でも、ウクライナ人は朝になったら普通にスーツを着て働くのよ、ナイスでしょ?と説明してくれた、強気で気持ちの良いpvrの社員。

その後マイダン広場周辺を散策中、またもや空襲警報。ミグ戦闘機が発進したらしく、狙いの地点がわからないので、全国的に警報が出されているらしい。警備責任者判断で、至近の地下鉄に退避。ソ連時代に建造された地底100m深度の駅(核戦争仕様)で警報解除を待つ。

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何事もなかったように地下酒場に案内していただき、民族楽器のバンデユーラとバイオリンの演奏で歓迎を受ける。彼らはCultural Forcesというチームで軍に属しており、バイオリニストは戦傷女性兵士。前線に常に出ているとのこと。ウクライナ人は強い酒を飲む。

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地下室でCultural Forcesの演奏を聴く。民族的な音調。

ホテルに帰投しほっとした瞬間、また空襲警報。多数の無人機が全土に襲来しているとの情報。画面だけ見ているとゲームと間違えてしまう。何かが戦争を変えてしまったのかもしれない。酔いが残った状態で地下シェルターに退避、再び朝まで過ごす。

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ロシアから多数のドローンが向かっている状況がアプリで示される

7月5日: 睡眠不足のまま市中産業の見学へ。弾道ミサイル着弾で完全に破壊された建物を視察。爆風で広範囲にダメージが見られる。夕方、視察団は駅に向かい、Lviv 行きの寝台車に乗り込み、Kyiv を出発。電車の中でも警報が続く。鉄道は標的にならないのか若干の不安。風邪はかなり回復。

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Kyiv 駅の駅舎。風情がある

Lviv(リヴィウ)へ

7月6日:早朝Lviv着。ホテルチェックイン後、まず大規模な戦没者墓地に参拝。新設された広大な地面に無数に並ぶ墓碑を見て圧倒される。多くの遺族が参拝し蝋燭を灯し黙祷している。

その後、旧市街を探索。Lvivでは空襲警報は少ない。初めて安心して寝られるはずだが、墓地の迫力に押されたのか、かえって眠れない。

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Lvivはウクライナ東方典礼教会の影響が強いが、ポーランド支配を通じてローマ・カトリック文化の影響も受けてきた都市。政治的には、19世紀以降はオーストリア帝国下でウクライナ民族運動の拠点となりソ連支配時代にも反抗精神を保持してきた。こうした背景から、ウクライナ国内でも独立心が強い地域として知られるようだ。英雄墓地に林立する旗が「自分はLviv人だ」と主張しているように思える。

7月7日:朝9時に市庁舎訪問、Lviv市長と黙祷を捧げる。ジャパンデスク開設にあたりLviv市長とJETRO前川理事の提携調印式。産業界の方々が出席するフォーラムでプレゼンさせていただく。

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Lviv-JETRO提携調印式のあとに日本官民チームのプレゼン

午後、戦傷者が多数収容されているリハビリ施設 UNBROKEN を訪問。体は傷つけられても「私たちは破壊を認めない」という意味だろうか。手足を失った戦傷者が義手、義足をつけて訓練している。隣接の義手義足工房の職人たちはフル回転。しかし逆に言えば、頭部・体幹に重傷を受けた兵士は落命しているはずで、ここにはいないのだ。精神的にPTSDを負った患者も社会復帰を目指して頑張っている。

そういえば、Kyiv で演奏してくれたCultural Forcesのバイオリニストも隻眼だった。不思議なことに戦傷者の顔つきには明るささえ感じ取れ、悲惨さは滲み出ていない気がする。

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UNBROKEN ウェブサイトhttps://unbroken.org.ua/

夕方、古いジャム工場をリノベしたおしゃれなリゾートで、ビジネスマッチング大会。Lviv は空襲が少なく、ほとんど平和な欧州の旧市街のような雰囲気で経済が止まっていない現状を実感。

7月8日:午前バイオ系の会社訪問。午後、Lviv ITクラスターを訪問。IT人材の雇用について打ち合わせ。ウクライナにおいてITとは軍事の意味あいが強いことを実感。

Lvivの最後行程で、視察団全員、日系企業の工場を見学させていただき、和やかな職場を見学しつつ昼食をご馳走になる。驚くべきことに全行程を通して粗食には出会わず、何を頂いても美味。むしろこちらが支援されている感じだが、お志をありがたく頂戴する。

Lviv駅に戻り、ポーランドへ。再び電車で国境を超える。名残を惜しむように再び空襲警報。Lvivでは比較的珍しい。わずか1週間の滞在だったが、外国に来てこれほど離れがたく思ったことはなかった。すぐにでもウクライナに帰りたいという感慨が湧き上がる。風邪は完治。深夜、ポーランド側国境のプシュミシェル駅に到着し、ホテルへ。

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Lviv IT clusterでの面談。セキュリティのため来客はWi-Fi禁止。さすがというべきか。

ローマへ

早朝3時に起き空路でローマに出発。今年で3年目となるウクライナEU合同復興会議がローマで開催されるにあたり、視察団有志も出席することが許されたため。

ローマには順調に朝10時に到着したものの、ロストバゲージで2時間足止め。疲れているうえとことん眠い。空襲警報から解放されたことが精神に影響しているのかもしれない。とにかくホテルに行き、1時間だけ睡眠。

夕方には日本イタリア文化会館でJETRO主催のウクライナ日本官民ラウンドテーブル会議があり、両国の官僚、企業人がプレゼン。民間からCOGNANOも登壇の機会をいただき、「一緒にやりましょう!」とアツく訴えたつもり。

招待スピーカーのユリヤ・スヴィリデンコ第一副首相兼経済相は、翌日、ゼレンスキー大統領からローマで首相に任命された39歳の聡明な女性。

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スヴィリデンコ氏の LinkedIn
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3分間はテクノロジー説明には短い。パッションしかない。

視察団解散

ローマでの任務を終了し、視察団解散となる。惜別の念しきり。メンバー全員初対面だったのに、これほど意識共有して行動した経験はないほどだった。しかし自分には明日から最後のミッションが残されている。

グラーツへ

重要なタスクがもう一件、バイオサンプルへのアクセスの打診である。通常、患者サンプルは地域の基幹病院が個別にコレクションしており、規約もまちまちで取り扱いや契約が難しい。がんや変性疾患など全ての疾患情報を、横串を通して網羅したいCOGNANOとしては、AI予測の妥当性検証のため、多種多様な患者サンプルを用いて有効性を確かめたい。この点、(ソ連時代からの?)集約型バイオバンクを持つウクライナのUABはじつに目的に適う。

Ukraine Association of Biobank is the premier biorepository of human tissue samples in the industry.
iconhttps://ukrainebiobank.com/
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責任者のスヴェトラナ(Lana)教授とオンライン面談して訪問を決心。ローマからオーストリアのグラーツに向かう。実際にお会いしたラナ教授は、グラーツ医科大学の施設に仮入居して以来3年間の忍耐を語った。2022年ロシア侵攻と同時に、ロシア国境ハルキウ(Kharkiv)にあったUABは猛攻撃にさらされた。侵攻開始時、職員の超人的な機動により、サンプルを自分たちでトラック輸送し2000km離れたオーストリアのグラーツに仮移転したらしい。戦争さえなければ、特に小児がんにフォーカスしたいのだ、というラナ教授に、微力ながらお力添えしますと約束。この約束は重いが、天が見てくれていると信じたい。面談の途中、突然土砂降りに。ラナ教授と秘書のマリーは手を叩いて喜び、「来客の途中で雨が降るのは、うまく行くサインなのよ」と。

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グラーツ医科大学のバイオバンク施設に入居するUAB責任者ラナ教授とマリー氏。

再会を期したあと鉄路ウイーンに戻るも、疲労が限界に達したのか観光の気力もない。駅で立ち食いカレーライスを食べホテルで爆睡。目が覚めると空襲もなく、夏休みらしい観光客がウイーンの街をゾロゾロ歩いている風景に、意識が混乱。ようやく自分のミッションが終了したことを実感した。

改めてウクライナでの鮮烈な記憶を再掲すると

  • エアアラートによって地下シェアルターで連夜過ごした時間。地下3階なので着弾音は聞こえない。恐怖感はほとんど感じない
  • 都市部に軍隊や兵士はほとんど見かけず戦車や対空陣地も見ることがない
  • 民間人は夜間空爆を忍耐し、何もなかったかのように定時にビジネスが始まる
  • 朝9時に戦没者への黙祷を捧げる習慣がある
  • 治安がよく憲兵や自警団のような集団も見当たらない
  • ちょうど我々一行が入った日程で、Kyivはかつてない猛攻撃を受けたにも関わらず、水道や電気のインフラが止まった瞬間がなかった。Starlink含めWiFiは全国的に健在
  • 大量の戦死者の墓碑と献花、戦死者に女性兵士や若者がたくさん含まれる
  • 古い市街地であるKyiv、Lvivともに清潔で公園や道路など管理が行き届いている
  • 物資・食糧が店頭に豊富に積まれており生活苦が感じられない
  • (ヨーロッパにはどこにでもいる)ホームレスを見かけない
  • ロシアを憎悪したり嫌悪するプロパガンダは目立たない(ほとんどないかも?あるとしてもプーチンの顔が印刷されたトイレットペーパーの土産もの程度)戦争当事者である国家体制と、ロシア人の人間性は別の問題と捉えているのかもしれない
  • 街では手足を失った若い男性が目立つが、精神的にめげてないように見受ける
  • エアアラートにも怯まず、若者の結婚式やマッチング会を見かける
  • 男女とも酒を飲むが行儀が良く、喧嘩や怒号をあげる場面に出会わない
  • 都市部の若者はだいたい英語を話す
  • 聖ミハイル修道院のビザンチン様式の聖歌。黙って涙を流す若い女性参拝者
  • ウクライナが集積したバイオサンプルをグラーツで守るラナ教授の施設はどうなるのか
  • 我が国の外務・経産官僚、JETROオフィサーの現地活動に対するウクライナ人の感謝

最後に

(ここからがCOGNANOのミッション目的です。長文恐縮ですが、ぜひご一読を。)

COGNANOがウクライナに行かねばならない理由と命題をもう一度説明させてください。

COGNANOは、トップAIカンファレンスNeurIPS, ICLRに2年で3回採択されています。これはバイオ系企業としては世界的に異例なことです。社内のデータサイエンティスト、マシンラーニング研究者が日々開発を続けているからですが、メインエンジンは、抗体と抗原の関係性を明らかにした莫大なデータセットの存在です。

私の直感的な見積りでは、ヒトの体には1-10億程度の「創薬のため知るべき」分子構造があり、完全に網羅するためには数十億種類の抗体レパートリーがプローブとして必要だと考えられます。抗体の優れた点は、たとえ相手(抗原)が10億種類存在しても、厳密な1対1対応で「形を認識する鍵」となり得ることです。特に、アルパカ由来のVHH抗体(ナノボディ)は、20種類のアミノ酸配列による電子情報化が可能であり、「検索可能な世界観」を実現する手段となります。

100億クローンの抗体データは、従来のバイオ業界では途方もない量ですが、データサイエンスから見れば大したスケールではありません。現在、COGNANOが蓄積したデータスケールは、概算で全世界データ量の9割に達していると推定され、しかも生産体制強化中です。莫大なデータセットにより「完全自動創薬」が実現する理路については、本ブログの過去の説明をご参照ください。今回のウクライナアクションは、COGNANOのデータセットを運用し自動創薬までに必要なステップの数理的解決のため、ITエンジニアを招集することが主要な目的です。

旧ソ連崩壊後、ウクライナの学生たちは経済的自立を目指す中で、特に2000年以降はITエンジニアを目指したのでした。その結果、優秀なエンジニアを輩出する国になっており、現在ではビッグテックの幹部として多くのウクライナ人がクレジットされています。戦争においても、ドローン戦果の原動力は、機械メーカーというよりエンジニアであることは明らかです。とは言ってもITは、対象となる社会サービスが存在して初めてパワーを発揮する産業です。オンライン会議、マップ、交通・ホテル・レストランの予約、会計処理、投資、送金、エンターテインメントなど、デジタルに置換できる全てのニーズがITサービス対象になります。

ところが、人類の重要課題である医学創薬は、まだITサービスの対象になっていない。なぜか?創薬に必要なだけのバイオデータがデジタル化されていないからです。実際、がんや痴呆症はまだ当分、解決困難です。これは生体分子や細胞情報の一次データがないことが最大の障壁になっています。ゲノムは情報化しやすいデータウインドウですが、ゲノムだけで病気を理解することはできません。

「創薬可能なバイオデータとは?」という課題解決テクノロジーを開発したCOGNANOは、まず莫大なデータを内製することに挑戦し、ほぼ成功しつつあります(データ生成器としてアルパカが必要だったことはご承知のとおりです)。その次のステップとして、疾患分子、疾患細胞の特徴を発見するツールである抗体が、どのような分子構造を認識するかを、AIの力で知りたいのです。これが実現すれば、コンピュータが標的分子構造を瞬時に答えてくれるようになるからです。

今回、愛国心ゆえ参加してくれた若いウクライナ人エンジニアとともに、私たちは自動創薬アルゴリズムの構築を進め、難病治療薬開発を志向するファーマとの連携、ひいては患者さんへの献身を目指します。ウクライナにとって、ヘルスケア貢献により民族のプレゼンスを示すことも、長期的には合理的な戦略ではないでしょうか。そのために、ウクライナおよび日本の政府系機関、国内外のウクライナ人、日本企業COGNANOが一体となって創薬支援技術を開発するスキームを提案中です。

ボストンのメンターファミリーは、第二次世界大戦がなければアメリカに移住することはなかったでしょう。かたや、今回の戦争がなければ、当社もウクライナ人エンジニアを社内に迎えるチャンスはなかったかもしれない。戦争という悲劇が人々に深刻な運命を与える一方、裏面(B面)で何かを産むかも、いやそうであってほしい、その可能性に向け私たちは前進する心構えです。留守を守ってくれたCOGNANO社員の皆さん、ありがとうございます!そしてジョインしてくださるウクライナの皆さん、よろしくお願いします。

最後になりましたが、膨大なミッションを無事故で進行し成果をあげられたJETRO、経産省、外務省のオフィサーの皆様ありがとうございました、随行の企業の方々、たいへんお疲れ様でした!

なお、ミッションに関する発信は、JETRO様と私個人のLinkedinでもご覧いただけます。