化合物であれ抗体であれ、ヒトの分子に結合して作用する物質が薬になります。したがって、創薬を開始するためには、まず「標的」となる分子や分子状態を決定する必要があります。では、その標的はどのように見つかるのでしょうか。
「標的分子探索」の歴史
このテーマは、約50年の歴史を持つ創薬研究の中核課題です。その流れは、おおよそ以下のように整理できます。
1975〜2000年:古典的分子生物学の時代
この時代には、遺伝子クローニングやノックアウトマウスなどの技術により、一つの遺伝子がどのような機能を持つのかを解析する研究が進みました。また、異常タンパク質が蓄積する疾患では、そのタンパク質を同定すること自体が重要な研究課題でした。
これらのデータを手がかりに、疾患に関与する分子を推測し、創薬標的として設定するという、古典的な分子生物学に基づく標的探索が主流でした。代表例としては、PD-1、HER2、Amyloid betaなどが挙げられます。「セレンディピティ」という言葉がよく語られた時代でもあります。
2000〜2015年:Genomicsの時代
ヒトゲノム解読を契機として、疾患細胞のゲノムを解析し、疾患に関与する標的分子を見つけ出そうとする試みが大きく進展しました。特にがん領域では、がん細胞に特有の遺伝子変異を同定し、それを創薬標的とする研究が盛んに行われました。
有名な例としては、KRAS、EGFR、BRAF、ALKなどのがん関連分子が挙げられます。これらは、ゲノム異常を起点として標的分子を探索する考え方の代表例といえます。
一方で、ゲノム解析によって発見される明確なドライバー変異には限りがあり、この領域は約10年前からプラトー期に入ったとも考えられます。ゲノム変異そのものに着目した新規ベンチャーの立ち上げは、以前に比べると減少しています。
2010〜2025年:Proteomics、Transcriptomicsの時代
その後、ProteomicsやTranscriptomicsを活用した標的探索が進みました。疾患に関連した異常ペプチド、タンパク質発現、あるいは細胞ごとの遺伝子発現パターンを解析することで、疾患特異的な特徴を発掘しようとする試みです。
特にTranscriptomicsは、シングルセル解析技術の発展により、1細胞ごとの発現差分を捉えることを可能にしました。これにより、腫瘍組織内の多様性、免疫細胞との相互作用、疾患進行に伴う細胞状態の変化などを、より細かく解析できるようになっています。
今後もこの領域は、標的探索の重要な基盤として発展していくと考えられます。
2020年以降:AI創薬という新しい流れ
このような流れの中で、2020年前後から新しいコンセプトとしてAI創薬が加わりました。Google DeepMindが開発したAlphaFoldは、その象徴的な成果です。ただし、ここで重要なのは、AlphaFoldはタンパク質構造予測において非常に強力な技術である一方、創薬標的そのものを網羅的に発見するアルゴリズムではないという点です。
なぜなら、疾患におけるタンパク質の構造変化と、実際の病態を結びつける学習データが極めて少ないからです。AlphaFoldは、特定の分子構造を予測する場面では大きな力を発揮します。しかし、どの分子が疾患において本当に重要な標的なのかを、未知の状態から網羅的に探索する用途には限界があります。つまり、構造生物学路線のAI創薬は大きな可能性を持ちながらも、「標的分子をどう発見するか」という創薬最上流の課題には届いていません。
以上が、「標的分子発見レース」の大まかな振り返りです。
標的分子発見は、創薬で最も上流かつ困難な命題
標的分子発見は、創薬領域の最上流に位置するテーマであり、同時に最も困難な命題でもあります。過去50年にわたり、世界中のアカデミア研究者や製薬企業が、膨大な時間と研究費を投じてこの課題に取り組んできました。それでも、創薬標的として広く認められ、実際の医薬品開発につながった分子は、まだ一握りに限られています。
ウイルスや細菌といった原因が明確な感染症領域では、創薬標的分子を設定しやすい傾向があります。これに対して、がん、神経変性疾患、自己免疫疾患などでは、発症原因や疾患成立のプロセスが複雑であり、何を標的分子として選ぶべきかを判断することがそもそも容易ではありません。患者ごとに標的が異なる可能性すらあります。
「標的分子が決められない」という問題こそが、多くの未充足疾患、すなわちUnmet Medical Needsがなかなか解決しない本質です。しかし、難しいという理由で「創薬標的分子の探索」を避けるわけにはいきません。ここには、課題解決の巨大な可能性が眠っています。
このテーマに挑戦している代表的な企業として、COGNANO以外にRecursionおよびInsilico Medicineがあります。両社は、AIを活用した標的分子発見企業として、非常に勇敢な先行例です。本稿では、リスペクトを持ってこの2社を紹介しながら、COGNANOがどのように異なる位置を目指しているのかを整理します。
先行例としての勇敢な企業
Recursionは、米国ユタ州ソルトレイクシティを拠点とするAI創薬企業です。同社は、細胞画像、摂動実験、機械学習を組み合わせた独自の創薬プラットフォーム「Recursion OS」を構築し、疾患生物学の解明、標的分子の探索、候補化合物の発見、臨床開発までを一体的に進めています。特に、細胞表現型データを大規模に取得し、AIによって疾患・遺伝子・化合物の関係性を解析する点に特徴があります。
Insilico Medicineは、生成AIを活用した創薬企業であり、標的探索、化合物設計、前臨床・臨床開発を統合する「Pharma.AI」プラットフォームを展開しています。同社は、疾患関連標的の同定、低分子化合物の設計、臨床候補化合物の創出を一気通貫で進めるモデルを掲げており、AIによって発見・設計された候補薬の臨床開発も進めています。
2社に共通する特徴
RecursionとInsilico Medicineは、技術的アプローチこそ異なりますが、明確な共通点があります。
第一に、創業者や中核チームが、従来型のバイオロジーだけでなく、数学、AI、データサイエンスを強い背景としている点です。両社は、最初から「標的分子発見」を数理・情報科学の問題として捉え、創薬開始に必須の上流をAIで解決しようとしています。
第二に、既存の公開データや従来技術の延長だけに依存するのではなく、リアルデータを自社で大規模に生成し、そのデータをAIで解析することで候補標的や候補化合物を発掘している点です。つまり、単なるAIソフトウェア企業ではなく、リアルデータ生成能力を競争力の中核に置いています。
第三に、発見した標的分子に対して化合物シーズを開発し、自社内でリード創出から前臨床・臨床パイプラインまで進める垂直統合型モデルを採用している点です。そのため、研究開発費、臨床試験費、組織運営費が非常に大きくなり、Nasdaq上場や大型調達を前提とする資本集約型モデルになっています。
この2社はなぜ内製パイプラインにこだわるのか
理論上、この2社はAIと大規模データを用いることで、多数の創薬標的分子を発見できる可能性があります。それにもかかわらず、なぜ両社は、自社パイプライン展開にここまでこだわるのでしょうか。少なくとも、以下の要因が関係していると考えられます。
第一に、低分子化合物創薬は臨床試験での失敗率が高く、新しいAI由来の標的や化合物を外部パートナーに導出するだけでは価値を証明しにくい事情があります。標的発見の経緯にかかわらず、ハイリスクの臨床試験を通じて有効性と安全性を示す必要があります。そのため、自社で臨床段階まで進め、「この方法論は実際に薬を生む」という証明を行う必要が生じます。
第二に、標的分子の情報そのものが競争上の中核秘密であるためです。いったん有望な標的分子名や疾患適応が外部に漏れると、大手製薬企業やケミカル創薬企業が同じ標的に対して追随する可能性があります。AlphaFoldが普及した時代にはなおさらです。そのため、標的発見企業であっても、標的を見つけた時点で外部に公開するのではなく、早急に化合物、特許、前臨床データを固める必要があります。その費用は莫大です。
第三に、低分子創薬では、標的分子、作用機序、化合物構造、用途特許が密接に結びつきます。そのため、1つの標的に対する権利を複数のパートナーへ柔軟に分割することが困難です。結果として、標的と化合物を一体化した自社パイプラインとして価値を最大化する方向に進みやすくなります。
第四に、標的分子の公表をできるだけ遅らせるため、特許出願、論文発表、アカデミアとの共同研究にも慎重にならざるを得ない点です。外部研究者とのオープンな連携が難しくなり、孤立した開発モデルになりやすいという側面があります。
COGNANOとの共通点
COGNANOの取り組みも、「標的分子発見」という意味では、RecursionやInsilico Medicineと同じ文脈に位置づけられます。また、バイオ系リアルデータを大規模に内製し、機械学習によって疾患に関連する情報を抽出するという点でも共通しています。
しかし、COGNANOはこの2社とは異なり、積極的なパートナリング、共同研究、抗体の研究用分与、外部機関との検証を重視しています。このスタイルの違いは、価値の源泉である「標的」の性質に由来します。
COGNANOがパートナリングを重視する理由
第一に、COGNANOが発見する標的の本質は、単なる分子名ではなく、疾患特異的な分子構造です。たとえば同じタンパク質であっても、がん細胞上では切断型、糖鎖修飾、複合体形成、局在変化、立体構造変化などにより、正常細胞とは異なる構造状態をとります。COGNANOのVHH抗体は、このような疾患特異的な構造状態を認識するプローブとして機能します。
第二に、このような疾患特異的構造は、AlphaFoldなどの既存の構造予測技術だけでは原理的に予測できない対象です。AlphaFoldは単一タンパク質や既知配列に基づく構造予測には強力ですが、患者組織内で実際に生じているがん特異的な翻訳後修飾、切断、複合体、膜上配置、環境依存的な構造状態をそのまま予測できるわけではありません。したがって、COGNANOの標的は、他社が分子名を見て直ちに追随できるものではありません。
第三に、COGNANOにおいて知財の中核となるのは、抗体だけではなく、疾患特異的な抗原構造を発見する能力と、その構造を認識するVHHビッグデータ群です。RecursionやInsilico Medicineにとっては「抗原分子名」や「標的分子名」が最高機密になり得ますが、COGNANOにとって本質的な財産は、分子名ではなく「疾患に特異的に現れる三次元的・構造的な抗原状態」を発見し、定量化し、再現性をもって検証する能力にあります。
第四に、この知見はCOGNANOのように、大規模なVHHライブラリー、疾患細胞・組織を用いたスクリーニング、NGS、機械学習解析を統合している企業でなければ発見が困難です。仮に標的分子名が知られたとしても、同じデータ生成パイプラインを構築し、希少構造を認識する巨大抗体群を再現しなければ模倣できません。
第五に、COGNANOは多数の疾患特異的構造標的を世界中で検証・展開する必要があります。すべてを自社内で閉じるよりも、抗体分与、アカデミア、診断企業、製薬企業とのパートナリングを通じて、標的発見の意味を外部データで拡張する方が合理的です。
COGNANOモデルの本質
以上を整理すると、RecursionやInsilico Medicineは、AIを活用して創薬標的を発見し、その標的に対する低分子化合物を自社で開発する「AI-native chemical drug discovery company」と位置付けることができます。一方、COGNANOは、疾患組織やがん細胞に実際に存在する異常な分子構造を、VHH抗体ビッグデータと機械学習によって発見する「Structure-native target discovery company」です。ここで重要なのは、COGNANOが探しているものは、従来の意味での「標的分子名」そのものではないという点です。
従来の創薬では、HER2、PD-1、KRASのような分子名が標的の単位として扱われてきました。しかし実際の疾患では、同じ分子であっても正常組織と病変組織では立体構造や分子状態が異なっている場合があります。COGNANOが注目しているのは、この「疾患特異的構造」です。つまり、分子名を探しているのではなく、「病気の時にだけ現れる構造状態」を発見することを目的としています。この違いにより、事業モデルも大きく異なります。
RecursionやInsilico Medicineでは、標的発見と化合物創出が一体化しているため、自社パイプラインとして開発を進めることが合理的です。実際、両社とも製薬企業との提携を積極的に行いながら、自社パイプラインの価値を高める戦略を採っています。一方COGNANOでは、疾患特異的構造という資産が多数生み出されます。これらは、
- 診断マーカー
- 患者層別化マーカー
- ADC標的
- 抗体医薬標的
- 細胞治療標的
- 創薬標的探索
など、多様な用途へ展開可能です。
すでにCOGNANOでは、多様ながん種に共通して現れる新規構造標的を複数発見しており、臓器横断的な創薬開発へと展開しつつあります。
このような抗体を、実際にパートナー候補に吟味していただくため、COGNANOは第一弾として「膵がん細胞特異的抗体8種類」の試供に踏み切りました。研究目的であれば、下記URLのMTAにご同意いただくことで、どなたでも抗体を試用いただけます。なお、AACR2026ではこれらのスペックを公表しておりますので、本サイトでご確認ください。

ここで重要になるのが、「娘ベンチャー」という考え方です。
仮に10個の有望な疾患特異的構造が見つかったとしても、1社で全てを開発することは現実的ではありません。疾患ごとに必要な専門家は異なります。脳腫瘍と膵がんでは研究者も臨床医も異なり、資金調達先も異なります。したがって、「構造標的を発見する企業」と「実際に医薬品へ変換するチーム」を分離する方が合理的になります。そこでCOGNANOは、疾患特異的構造を発見する基盤として機能し、疾患ごと、地域ごと、モダリティごとに独立した娘ベンチャーを創出する構想を描いています。
各娘ベンチャーには、大学、病院、投資家、CRO、製薬企業が参加し、それぞれの疾患に最適化されたチームを形成します。COGNANOは疾患特異的構造、およびその証拠物件である抗体をライセンスし、対価として株式やロイヤルティを受け取ります。このモデルは、単一の創薬パイプラインに全資源を集中する従来型ベンチャーとは大きく異なります。ただし、ここで重要なのは、娘ベンチャーの初期段階において中心的なリスクマネーを負担する主体は、必ずしも大手製薬企業ではないという点です。
大手製薬企業がCOGNANOの価値を認めるのは、COGNANOが単なる抗体提供企業ではなく、疾患特異的構造を継続的に生み出すプラットフォームであることが明確になった後だと考えています。それ以前の段階では、よりアグレッシブな投資家、Deep Tech系VC、Family Office、あるいは公的機関や政府系グラントが、娘ベンチャー形成の初期リスクを担う可能性が高いでしょう。娘ベンチャーは単なる子会社ではありません。COGNANOの標的発見能力が複数疾患・複数地域で再現可能であることを示す、いわば象徴的かつ実務的な実証装置でもあります。
SEPIQ は COGNANO にとっての AlphaGo moment である
もう一つ、COGNANOのプラットフォーム性を世界に示すうえで重要なのが、SEPIQ Challengeです。SEPIQは、COGNANOの直接的な収益商品ではありません。むしろ、COGNANOが持つVHHビッグデータ、構造認識抗体、AI解析能力を、世界のAI研究者・構造生物学者・製薬企業・投資家に対して可視化するための、国際的な検証エンジンです。
Google DeepMindは、AlphaGoによって「AIが本物である」ことを世界に示しました。AlphaGoそのものが収益商品だったわけではありません。しかし、AlphaGoはDeepMindの技術的真価を世界に証明する決定的な象徴になりました。同じ意味で、SEPIQはCOGNANOにとってのAlphaGo momentです。
SEPIQによって、COGNANOは単に「珍しい抗体を持つ会社」ではなく、実データとAIを用いて疾患特異的構造の世界標準ベンチマークを作り得る企業であることを示そうとしています。すなわち、「SEPIQは科学的ブランディング」「娘ベンチャーは事業的ブランディング」です。この2つが揃うことで、COGNANOは初めて、世界に対して「創薬標的発見プラットフォーム」としての実在感を示すことができます。
COGNANOが目指す収益構造
COGNANOの強みは、標的分子名を秘密にして独占することではありません。むしろ、従来のゲノム解析や構造予測だけでは発見できなかった「疾患特異的構造」を見出し、それをVHH抗体プローブ、AI解析、臨床検体データによって検証可能な資産へ変換することにあります。
標的分子名だけでは模倣不可能であり、実際には、VHHライブラリー、スクリーニング系、NGSデータ、AI解析、臨床検体との対応情報が一体となって初めて価値を持ちます。この意味で、COGNANOの競争優位性は、単一の抗体や単一の標的ではなく、構造情報を発見・解釈・実装するためのプラットフォームそのものにあります。私たちはこれを「Target OS」と呼んでいます。このTarget OSの収益源は単一ではありません。研究用抗体の提供、データライセンス、バイオマーカー事業、創薬標的ライセンス、娘ベンチャー株式、ロイヤルティ収入が重層的に積み上がる構造を目指しています。
初期には、研究用抗体の提供やデータライセンスが、COGNANOの実力を示す導入になります。中期には、バイオマーカー事業や創薬標的ライセンスが、製薬企業・診断企業との本格的な接点になります。そして長期には、娘ベンチャー株式とロイヤルティ収入が、COGNANO本体のバリューを大きく押し上げることになります。究極的には、一つの薬を作る企業ではなく、未来の創薬企業が次々と生まれる「知の水源」になること。
疾患特異的構造という新しい資源を発見し、世界中の研究者、医師、起業家へ供給すること。そして、その先から新しい診断法、新しい治療法、新しい創薬企業が生まれ続けること。COGNANOが目指すのは、未来の創薬産業を生み出す「Target OS」です。