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いま街なかでは桜が満開である。しかしCOGNANOヘッドクォーターがある八瀬は朝夕冷え込むせいでこれからだ。別れと出会いの時期に重なるせいで、桜はシンボリックな情景であり、日本の代表的風景として定着している。散りさまの視覚効果から、武士道や潔さの象徴と重ね合わせられてもいる。

COGNANOヘッドクォーターがある八瀬

桜について多少知っていることを挙げさせていただくと

  • 現代ではソメイヨシノが桜の代表種と考えられている
  • ソメイヨシノは元禄時代(1720ころ?)に隅田川駒込染井の植木商が開発したミュータントである
  • 花粉による生殖がないため、クローンが接木で増やされて、全国に伝播している
  • 遺伝的にクローンだから、同じ地域(気温)であれば同期して咲いて散る
  • どのような辺境にあるソメイヨシノも、人為的に接木されたものである
  • ヨシノとは桜で有名な奈良吉野山のイメージワードである

それでは、ソメイヨシノ以前の日本人は、桜に興味がなかったのだろうか?もちろん桜は人気だったようだ。種類は様々であったが、例えば本居宣長(1730-1801年)は、桜は山桜に限る、最近の桜(ソメイヨシノ)はケバケバしくて大和ゴコロに合わない、と書いている。宣長がイメージする桜は、山奥にひっそりと開花する静的なものだったらしい。彼はこの「ひそやかな可憐さ、愛らしさ」を「もののあはれ」と呼んだ。現代語で言えば「カワイイ」に近いセンスと考えられ、派手に咲き乱れるソメイヨシノは彼にとって「ケバい」新種であり「カワい」くなかったのだろう。

とはいえ宣長は、全文漢字当て字で書かれていた古事記の読みを、文献データ解析により暗号解読した一種のデータサイエンティストであり、決して文人趣味に生きた人ではない。宣長によれば日本文学の最高峰は源氏物語である。源氏物語を産んだ平安朝では、桜はどのような位置付けだったのか。平安貴族はもちろん桜を愛でた。光源氏の人生の総集編である六条院の宴会は、桜を愛でる詩作の会だった。スーパースターである光源氏でさえ、単純ではない人生を歩み、この世を去っていく。桜とは人生の短さと儚さを象徴したアイコンであったようだ。

それ以前はどうだったのか。9世紀の代表的歌詠み、菅原道真がこよなく愛したのは梅であった。政争に敗れ太宰府に流転した際、一夜にして京都北野から梅が空を飛んで道真を追ったという伝説がある。当時、花といえば梅であった。梅は見る対象というより匂ひを楽しむもので、匂ひを楽しむ状況は夜である。視覚はむしろセカンドだった。太宰府に北野の梅が出現する(飛梅)のも深夜であった。日中に桜を愛でる視覚文化と対照的である。

東風吹かばおもひ起こせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ 菅原道真 901年

なぜ梅だったのか。漢字や仏教を輸入した中国の影響であったと考えられる。中国では、ポエム中の花といえば梅であり、梅を愛好することが日本の王朝貴族にとって文化的リテラシーだったからだろう。和歌をトラックすると、9世紀頃、梅から桜(当時は比較的地味な山桜)に好みが移行したことがわかる。これはほぼ、遣唐使が中止された時代(838年)と一致する。

縦軸は、和歌集中、梅、桜それぞれの出現頻度(%)。万葉集4500首、古今集1100首、新古今和歌集2000首のうち、梅、桜の出現率をChatGPTを使って推計。

おそらく中国政権(唐)が衰退していく中で平安朝への影響が薄くなり、日本では桜が梅に変換し定着したものと推測される。ちょうどその頃、人類初の長編ノベル・源氏物語が成立した。ここにおいて(限定的であるにせよ)中国文化を凌駕したのかもしれない。

話は近代に戻る。珍種でしかなかったソメイヨシノを代表的な桜と認識するのに何世代必要だったのだろう。江戸後期(明和年間:19世紀)の浮世絵によれば、すでに花見の主役はソメイヨシノであることがわかる。

千駄木団子坂花屋敷 歌川広重 1852

元禄年間(1720〜30年ごろ)に開発されたソメイヨシノが日本中に拡散し、人々が「桜=ソメイヨシノ」だと思うまでに、おそらく70年くらい?かかった計算になる。認識の変遷に要する時間は、梅から桜におよそ100年、山桜からソメイヨシノに70年。一世代を25年とすれば、ヒトの意識が置き換わるのに必要な時間は3世代ほどという仮説が成り立つ。接木、植木ではなく電子情報による伝播だったら、さらに短い時間で可能になる。このような考察は、文献データのわかりやすい使用例だ。

バイオ研究を一世代分25年ほど続けたが、私が研究成果と思っていたものは、コンピュータに対応できるデータではなかった。いまCOGNANOは、生命分子の相互作用という最もベーシックかつ動的な情報を、深層学習に向け整理しようとしている。バイオの壁を乗り越え、COGNANOに集まってくれたITメンバーは日夜、コーパス構築のため翻訳・移管作業を続けている。私には彼らが未開の荒野を行く勇者に見える。しかし誰かを英雄視すること自体、おそらく旧時代のセンスなのだろう。

 COGNANOはいま、バイオにおけるデータサイエンスの有用性を実証するために、難治がん治療に注力している。すでに国内主要大学との共同研究で、がんに対する薬効を動物実験で証明できた。データサイエンスは難治がんの謎を解読し、生命に光を当てることができるか。宣長が目指した古典文書研究は、データをもとにして古代の世界に迫るものだった。その探求は、歴史学というより、人々の心をリアルに(動的に)再現することだ。COGNANOも個別技術や時代に流されることなく、データサイエンスを通じ、生命の普遍性へ一歩づつ近づいて行きたい。まずは治療薬開発で貢献することが使命であると肝に銘じつつ、短い花の時間を楽しんでいる。

参考文献

  • 「光る源氏の物語」 大野晋、丸谷才一
  • 「本居宣長」 小林秀雄